畳の歴史「明治・大正・昭和時代」編

明治時代
柄などの畳の規制が解かれて、畳は一般社会に広く普及し始めます。定期的な畳干しを行ったり、表がやけたら裏返しをするなど、 畳が傷むのを防いで長く使う工夫も広まりました。こうした習慣は生活の知恵として今でも続いています。

●文明開化によって家具調度の洋風化し、畳の上に椅子が持ち込まれました。
●中流以下でも書院造り風の座敷が作られるようになりました。
●明治の一般民衆の家として床の間つき6畳間8畳間が一般化しました。
●麻布縁にかわる錦糸縁が生産されはじめました。大正期以降、光輝縁として一般化しました。
●畳床をつくる製畳機が一部実用化されました。
●産業革命によって人口の都市集中が始まり住宅需要が高まって畳が大衆化しました。
●文化住宅化、和洋折裏住宅が定着しました。


昭和時代
高度経済成長期と共に生活も西洋風になり、和室に正座する生活から椅子やソファに 座る生活へと変わっていきます。カーペットなどが普及していきますが、それでも家の中は畳の部屋が中心でした。昭和の半ば以降は住宅建設ラッシュ、団地やニュータウンの登場、中高層マンション時代の到来などで、畳の需要は高まりました。 その需要に合わせて、畳縫着機などの開発や畳技能士などの資格付けなどが始まったのもこの頃です。しかし、家を建てるときのコストダウンを大きな要因として、フローリング(当時は板張りと呼ばれていました)が広く普及し始めました。家を建てる際に和室を作ろうとすると、障子などの建具のために時間と費用がそれなりに必要です。そのため、住宅価格のコストダウンのために和室の部屋が作られないことが増えてきたのです。ところがその反面、断熱や遮音性能が低い・落ち着かないなどのフローリングのデメリットも明確となり、再び畳が見直されてきました。その一端が、フローリングの上に置くだけの置き畳などの畳製品であり、琉球畳の人気が高まってきました。また、科学素材なども使われるようになって機能性も高くなり、洗える畳、カラー畳、ヒノキの畳など、バラエティーに富んだ製品も生み出されました。

●文化住宅化、和洋折衷住宅へと住宅様式が変化しました。
●畳を縫い上げる縫着機が開発されました。
●公団住宅が出現し、団地族という言葉が流行りました。
●各地にニュータウンが誕生しLDK などの呼び方が始まりました。
●建築ラッシュがおこりました。(昭和48年がピーク)
●畳の需要の高まりから畳横着機が本格的に使われるようになり機械縫いが一般的になる。
●大戦後の欧米化と住宅建設の増大で生活の洋風化が加速しました。
●中高層マンション時代が到来し、畳も軽量化されるようになりました。
●労働省所管の畳工の技術検定が始まり1級畳技能士、2級畳技能士などの資格付けが始まりました。
●稲藁が不足となり代替素材として発砲ポリスチレンフォームの活用が始まりました。
●住宅建設5カ年計画のもとに畳は新築需要を中心とした受注体制に移行し始めました。
●木質系硬質繊維板のインシュレーションボードによる畳床生産が始まりました。
●建築ラッシュにより畳表が品不足となり、「青いダイヤ」と呼ばれました。
●新規商品を開発する動きが活発化し、化学素材の畳表の工業生産が始まりましたが、品質に問題があり衰退しました。
●住宅建設が年間190万戸に達し、手縫い中心から機械縫い中心の生産体制が主流になりました。
●畳表の生産地が広島・岡山を中心とした備前・備後から熊本・福岡・佐賀など九州地方に移りました。
●超高層マンションなど和室の少ない間取りが増えた事を背景に、「畳の良さの見直し」が叫ばれました。
●稲藁畳床の代替製品の新素材製品が開発され、建材畳床として高い市場性を誇るようになりました。



















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