畳の歴史「江戸時代」編

江戸時代
江戸時代には畳は建築において重要な要素とされ、城などの改修工事を司る畳奉公という役職が設けられました。江戸中期にかけ て商家など一般の庶民にも広まり、明治には農村まで広がり、現代に至って使用されるようになりました。
元禄時代には徳川幕府の役職として「御畳奉行(おたたみぶぎょう)」という役職が作られるほど、畳は武家、特に将軍や大名にとっ ては重要なものになりました 。
畳が一般のものとなったのは、江戸中期以降のことで、更に農村では明治に入ってから普及していきました。
それまでい草は、自然のものを用いたり、小規模に作られてはいましたが、このころから岡山や広島などで本格的に栽培が始まり、 江戸時代後半には畳職人という職業も確立されて庶民の住まいにも徐々に使用されていました。江戸時代の長屋では、畳は長屋の大家が用意しておくものではなく、部屋を借りる店子が運び込んで使ったといわれています。そのため、畳の手入れをして長持ちさせる知恵を身につけていったのです。
江戸時代後期には畳を作って生業とする「畳職人」「畳屋」という職業としての畳職人が確立していきました。こうしたことで、畳は庶民の家にも使用されるようになっていきます。さらに時代が進み、江戸時代末期には、商家など庶民の家でも畳の敷き詰めが普及。需要が大幅に高まったことで、各藩の特産物として畳床が登場するまでになりました。

●茶道の隆盛による畳の特殊化が進みました。
●今西家といった畳割建物が登場しました。
●数奇屋造りの誕生によって畳割で建築が設計されるようになり、畳の役割が重視されるようになりました。
●仲間組合の設立し、江戸や大阪で畳表の組合の交流が盛んになりました。
●享保以降、問屋制が進み親方と職人という階層分化が進みました。
●親方が原料、道具類、衣食住までも貸与する職人制度が確立しました。
●(1)畳屋 (2)畳刺 (3)手間取 (4)職人 (5)出居家 (6)弟子の六階層の身分制ができました。
●各藩の特産物に畳床が登場しました。
●広島藩主福島正則が畳表3500枚を献上しました。
●広島山南村長谷川右衛門が中継ぎ表を発明しました。
●元禄時代、畳奉行が出現しました。
●幕府が畳表9000枚を買い上げました。
●広島藩宮崎安貞が「農業全書」にい草の栽培法を記載しました。



















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